たっかーずブログ

感じたこと、想いをそのままに。

愛し、愛し、愛し生きてゆく。

 

人は結局、それ以上でもそれ以下でもなく、ただそこにいる「人」でしかないのだと思う。

 

昨日までの3日間、国内の枠組みを外れて、お隣の国である韓国に行っていた。日程がなかなかタイトであったのだが、非常に密度の濃い3日間であり、また新たな場所をこの身体で体感でき非常に満足している感満載で今ブログを書いている。

 

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近いからか、日本と似た部分をよく感じていた。

 

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ここの屋台でソジュと焼き鳥を食したのだが、ソジュが効きすぎて少し気持ち悪くなった。(味自体は、すごい美味しかった。)

 

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 こういう裏路地に、韓国がつまっているのかもしれない。

 

1日目の夜にとある韓国人の友人(ここではE君としておく)と合流して、あれやこれやと話していた。彼と会うのは、約10ヶ月ぶりであったがなんら変わらない感じで、まるで昨日会ったばかりのような感覚でもあり、改めて時の流れの早さを思い知らされた気がした。

 

私はオーストラリアは去年の11月から今年の1月までの約3ヶ月間滞在したことがある。観光ビザでもなく、学生ビザでもなく、ワーキングホリデービザで渡航したのだが、特に働くということもせず、ただひたすらミートアップという初対面の人達同士で英語を話す行事に、自分のスピーキング力に磨きをかけようと、ひたすら参加していたのを、当時住んでいたシェアハウスのオーナーである女性が哀れと思ったのか、本当にありがたいことに日本に帰っている間、ボランティアとして家の管理と非常に可愛らしいおばあちゃん犬の世話をしてお金を貰っていた。(シェアハウスのオーナーは日本人であった。)そのおかげで、ひと月だけではあったが、非常に眺めが美しい港の近くにある語学学校に通うことができ、その時によく同じ授業を一緒に受けていたのがE君であった。

 

今回、私が「サムギョプサルが食べたい。」と言うと、彼は観光客はなかなかこなさそうな人気のサムギョプサル屋に連れて行ってもらった。たった、ひと月ちょっとしか一緒にいなかったのだが、空港からホテルの最寄りの駅の場所や、ここどこは行ったほうがいい、ここどこは夜はあまりお店やってないからいついつに行ったほうがいいなど、色々教えてもらい、しまいには二軒目にマッコリとチヂミを食べに行ったのだが、そこでお会計の時にお金を出そうとすると、「せっかく来てくれたんだ、ここは奢らせてほしい」と言われ、お金まで出してくれたのである。この時に人の温かみというのをすごく感じ、心が何かそういうのに包まれた。ただ、私もこのままバイバイするのは、絶対嫌だったので、「今度日本来た時は教えてね、食べたいものなんでもおごらしてくれ。」みたいなことを言ってさよならした。

 

昔、スーパースターである、鈴木一郎選手を見たいという理由で初めて日本という大陸を抜け出して、自分がもっともっとちっぽけに感じてしまう、アメリカ大陸という途方も無い私にとっては未開でしかない土地に足を踏み入れたことがある。今から2年前のことであった。当時はこれが初めての海外で、かつ1人で行ったというのもあり、当時は今以上に英語なんて全くもって喋れず(今は英語を喋れるのかと言われると、はい喋れますと自身持って言えないが)、ちゃんとホステルまでいけるのか、物はとられないだろうかや、それ以外にも全てが初めてだらけでものすごい恐怖を感じる自分とずっと向き合っていた記憶が鮮明に蘇ってくる。ただ自分の経験上では、そうした恐怖と向き合い、実際やってみたり行ってみたりすると意外となんとかなるし、いろんな人に助けられることも多く、様々な素晴らしいことに遭遇できる。アメリカでも、行ってみたら全然なんとかなったし、挙げ句の果てにメキシコまで行くこともできた。またネットが繋がらず困っていた時に、ネットのパスワードを親切に教えてもらったり、オーストラリアでも金がなくて困っている自分に仕事を与えてもらったりと様々ことで助けられたりもした。アメリカに行った時は、行き帰りの飛行機で、心優しい隣の方達と仲良くなり、行きの飛行機で仲良くなった方は、お正月にはポストカードを頂いたり、帰りの飛行機は韓国の女性の方で、日本語が喋れるということで、様々なことを話すことができ、うちの国に来てくれたら色々案内してあげるから、ぜひおいでよなどと言って下さり、いろんな温かみを感じることができた。

 

要するに1人の人間である以上、国も性別も人種も関係ないのだと思う。「人間」は「人間」であり、それ以上でも以下でもなくただ、「人間」である、それだけのことだ。笑う時は笑うし、悲しい時は悲しいし、泣く時は泣く、そこに違いは何もないと思っている。今回の韓国でも、E君の温かみに触れて、すごく幸せだなあと感じることができた。

 

愛し、愛し、愛し生きてゆく。

 

これからの時代、どうなるかなんて到底自分にはわからない。ただ、今自分が思っていることとして、もっと愛していたいという願望がどこかにある気がする。もっと周りにいる人を愛して生きていきたいし、もっと愛というのを自分の中に内包して生きていきたいと思っている。ただ、そうする前に、「自分のことさえ愛せない奴が、他人なんか愛せるかこの野郎!」という、もう1人の自分がもう1人の自分に訴えているのを感じ取ることができる。これは私なりの意見だが、人を愛する前にまずは自分を愛すること、ありのままの自分を素直に受け入れることが重要だと思っている。今の資本主義社会にいる以上、プライドや他者承認欲のおかげで、自分を大きく見せたりしがちかもしれないが、そうではなくて、自分のコンプレックスや弱い部分を認めてあげて、その上でそういう自分を愛することから始めたい。その先に、はじめて他人を愛することができると私は思っているからだ。ただ、私もそういう意味でまだ自分を愛せていないわけで、もっと自分を愛して、自分を認めてあげたいのである。

 

 

明日の夜、名古屋を離れて福岡に旅立つ。この1年、フィリピン、オーストラリア、東京、名古屋と様々な地を転々として、今度は福岡に住む。こうしてみると、私は1つの場所に留まることはたぶん苦手な人なのかなぁって思う。その理由はおそらく、いろんな場所に行って、様々なことを、この身体で見たいし体験したいからなのかもしれない。正直、福岡もいつまでいるかもわからないが、非常にワクワクしているし、この感覚はずっと大事にしていきたいものである。

 

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古山 貴大