たっかーずブログ

感じたこと、想いをそのままに。

怖いからこそ立ち向かってゆくのだ。何もやってないのに勝手に決めつけるな。

オープンにしていれば、人間は死なないように造られているのかもしれない。

 

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1日からずっと住み続けているゲストハウスにも今日で一旦お別れを告げ、とりあえず新しくお世話になるシェアハウスに移動することになった。実は一昨日にシェアハウスを2件見させていただき、どっちかに決めようと自分の中で心が固まっていたが、その日の晩、仲良くなったゲストハウスのスタッフさんから、「うちに宿直すればいいじゃん。」と言ってくださった。なんとも、ありがたいお言葉なのだろうか。さらにいうと、昨日は「うち2月末くらいからスタッフ募集してるから、働きなよ。」と言ってくださり、なんだか自分の中で次から次へとベルトコンベアー方式にありがたい事が溢れ出てくるので、嬉しい(?)混乱が頭の中を駆け巡っている毎日である。

 

私には、自分の価値観をいい意味でぶち壊された人がいる。私はその方とお話しした事はない。ただ、一方的に、勝手にその人の価値観に触れた時に、勝手にぶち壊されてしまったのである。その方は、自分をオープンにすることの可能性を謳っており、

 

「自分をオープンにしていれば死なないばかりか、自分ひとりの力では決して成し遂げられなかったであろう素晴らしい瞬間に立ち会える」

 

とも仰っている。今回も、「住むとこを探しておりまして、、、」と自ら打ち明けたからこそ、こうした私にとってはものすごい奇跡に近い何かに触れる事が出来たのかもしれないと思うと、言ってみるものなんだなぁと実感した出来事でもあった。

 

私は、「幸せになりたい」と思って福岡に来たのに、「不安」という異物の感情を抱えており、なんとも言えない矛盾を自分の中に抱えている。私は何になりたいのだろうか。私はこれからどうなっていくのだろうか。これらが不安の主たる要因であり、自分を苦しませており、正直言って、たまに自分にバカらしくもなってくる。なぜなら、起こっていないことに対してあれやこれやと考えてしまっているからであり、結局これらをいくら考え続けても、何も変わらないことがわかっているからである。それがわかっていても、考えてしまう癖が私にはあるので、私はいかに弱い人間かということを思い知らされてしまい、自分が奈落の底に突き落とされたかのような感覚に陥ることもある。

 

だがしかし、こういう時に自分の大好きな人や、大好きな物に触れるとまた気持ちが上昇していく。大好きな人と話していると、「自分は幸せだなあ。」と思う事ができるし、自分の価値観をぶち壊された人を価値観に触れると、また水を得た魚になり、前に進もうと思う事が出来るようになる。そうした方達が、また自分に対して一歩を踏み出させてくれる勇気を与えてくれるのである。こういう事を考えると、私はものすごくこの上なく真面目人間だなあって自分に対して思ってしまう。本当は、もっとこう気楽に「楽しんでこうぜ!」的な軽いノリで生きていたい。だから、そうした「ネガティブ」的な思いを、ある意味自分への戒めとして、自分に対してこのブログを書いているのだと思う。

 

怖がっている場合ではないのだ。

 

そうだ。怖がっている場合ではないのだ。失うものなど何もないのに、何を怖がっているのだ!とりあえず、やってみろよ!なんとかなるから!

 

もっとそういう風に、自分に言い聞かせていきたい。この世の主人公は、「自分」なのである。この世を面白くさせてもいいし、つまらなくさせてもいいし、どうするにしても結局は自由なのである。だったら、つまらない人生じゃなくて、もっといろんな目にあって面白くさせる人生にしてやりたい。  

 

スティーブ・ジョブズの言葉に、

 

If today were the last day of my life,would I want to do what I am about to do today?

(もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?)

 

という、有名な言葉がある。人生は有限である。だからこそ、「今」を生きていきたい。

 

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人生、楽しんだもん勝ちや。

 

古山貴大