たっかーずブログ

感じたこと、想いをそのままに。

ブログの運営サイトを変更しました。

お久しぶりです。

 

ブログを実は、先月から違うサイトでやっております。

 

同じはてなブログなのですが、心機一転下記に変えております。

 

http://ttakka365.hatenadiary.jp

 

もしよければ、見てくださると嬉しいです。

 

読者登録してくださると、尚嬉しいです。

 

引き続き書き続けます。

 

以上、よろしくお願い致します!!

 

古山貴大

私は前に歩き続ける。だから、少し歩いてみた。〜島根県益田市→浜田市の旅〜

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私、古山貴大は一昨日から実家のある島根県益田市に帰省している。高校卒業してから東京、名古屋(わずか8カ月ではあるが)と転々とし、福岡と実家に帰る距離、コストを比較した時にかなり違いを実感でき、そういう面も含めて福岡は改めていい場所だなと感じることができる。

 

私は、一日中家でだらだらすることはできない。確実に無理だ。そんな生活を続けていると死んでしまうと思っているし、実際たぶんそうなってしまう。今日はあいにくの雨であり、外に出にくい状況からこのやるせなく、もやもやとした自分の内側にある何かを外に出す場所として、このブログを介在させ、吐き出しているのだ。そんなこんなで話は変わり、昨日は島根県益田市から、お隣の島根県浜田市まで歩いてみることにした。益田市浜田市は石見地方といわれる場所に属しており、石見神楽といった神楽は有名である。また、島根県立しまね海洋館アクアスとよばれる水族館では、白イルカによるバブルリングを見ることができ、(世界初の出来事であるらしい。)日本海に面しており夏は海水浴で賑わい、なんたって石見の名のついた世界遺産石見銀山を擁しており、非常にのどかで魅力的な場所だといえるだろう。

 

石見神楽

http://iwamikagura.jp/

 

島根県立しまね海洋館アクアス

https://aquas.or.jp/

 

石見銀山世界遺産センター

http://ginzan.city.ohda.lg.jp/sp/

 

 

そんなお国自慢はおいといて、今回は約40km?の旅を敢行した。スタート地点は私の実家であり、周りには田んぼしかない非常に場所である。競技者は私一人である。

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最初の数キロは順調に歩いていたのだが、途中このようなトンネルに遭遇した。

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多分、「歩行者注意」と書いてあるので、行けないことはなかったと思うが、「そんなところ歩いているとトラックに轢かれて死ぬよ」と、もう一人の自分に説得されてしまい、仕方なく遠回りをして前へ前へと進んでいった。

 

歩いてて感じたのだが、コンビニの移り変わりが激しいなと思った。前までセブンイレブンなんてひとつもなかったが、今回少なくとも5つ以上はこの目で確認することができた。また、こちらでは非常に有名なポプラが、ローソンポプラになっており、変化をまじまじと感じた。

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その後も歩いて歩いて歩きまくる。

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浜田市到着!!さらに歩き続ける。

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途中、足の裏に違和感を抱えつつも、さらに歩く。

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猫発見。近づこうとしたら、逃げられた。

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ついに到着!(適当な感じでごめんなさい。)

 

今回、こんなに歩いたのはただもっと地元を知りたくて、新しい何かを知りたくてっていう理由があったと同時に、歩くという動作をしながら、1人でもう一度、改めて、自分と向き合いたいという理由があった。どうして会社を辞めたのか。自分は改めて何に向かっているのか。などなど思いを巡らしながら、ただひたすら足を前に進めていた。会社を辞めたのは、自分の幸せはなにかと考えた時に、その答えがその会社で働くこととは違うところにあったからで、幸せになりたいから辞めたのであって、自分がもっと自分でいられるように辞めたのである。

それと、自分がどこに向かっているのか。それは、もっと新しい何かに触れていたいし、もっとワクワクしていたい。そして、愛したい人を愛しながら生きていたい。ただ、それだけなんだと思う。今月にはいって、いろんな話を聞いて少し自分がなんなのかわからなくなりそうだったのもあり、そういった意味で、あらためて原点に立ち返って考えることはできたのではないだろうか。

 

世の中、変わらないものなんてないのかもしれない。ならば、私はちょっとした勇気をもって変わり続けたい。

 

先ほどのポプラのように、もしかしたら世の中変わらないものなんて実はなくて、変わらないと思っているものも、ただ変わらないと思い込んでいるだけであって、本当は変わり続けていくものばかりなのかもしれない。たぶん、その時に変わらないだろうと思い込んで、何もせず変わろうとしないのがよくないことであり、変わろうとしない、変化しようとしない、つまりは前に進もうとしないことはただの後退でしかないのかもしれないと思った。ならば、私は変わり続けていたい。変化を恐れず、覚悟を持ってバンってとりあえず前に進んでみる。そしたら、何か新しいワクワクに出会えるのかもしれないし、素晴らしい何かが待っているのかもしれない。

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人生、楽しんだもん勝ちや。

 

 

古山 貴大

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やりたいからやる。それでええじゃんか。

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今、博多駅マクドナルドでこのブログを書いている。一昨日のブログで、「覚悟を持つこと。覚悟があればなんとでもなるさ。」とか言っておきながら、そこに120%の覚悟をもって取り組もうとしていない自分がいた。昨日は、とあるバーでとあるお二人とお話しさせていただいた。お二人のお話は、非常に刺激的で面白かったのだが、あれこれと右往左往するのは良くなくて、結局は自分なんだなって改めて思った。

 

私は、坂爪圭吾さんのブログをみる。

 http://ibaya.hatenablog.com/entry/2016/12/09/095157

 

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大阪のイベントに来てくれた男性が「さかつめさんは何をしている時が一番楽しいですか?」みたいなことを尋ねる。私は、返答に困る。楽しいことなんて100種類以上あるし、このひとはなんでこんなことを聞くのだろうかと思い「あなたはどんな時に楽しさを覚えるのですか?」と尋ねる。男性は「やりたいと思っていることをやっている時です」と答える。私は、なるほどと思う。そして「それでいいじゃないですか」と答える。「それでいいと思うのですが、どうして、私にそれを尋ねるのですか?」と答える。

 

ニュアンスをうまく伝えられる自信がないけれど、男性は「私と同じであることに安心感を覚えようとしていた」ように見えた。そして「楽しむためには何かをしなくちゃいけない!」という焦燥感に駆られているようにも思えた。当たり前のことだけれど、答えはひとつではない。しかし、答えはひとつだと思い込むと「自分と違う答えを持つひとの登場に動揺する」ことになる。結果的に、周囲の人達の意見に惑わされて、自分自身を見失ってしまうことは多い。

 

私は、人間のパフォーマンスが最大限に発揮される瞬間は「リラックスをしている時」だと思う。何かをしなくちゃいけないという強迫観念は緊張感を生み、場合によっては何もしていない自分に罪悪感を抱く結果にもなる。大事なことは、多分、肩の力を抜くことだ。明日からは東京だ。堅苦しい文章を書いてしまった。熱海の空には太陽が輝いている。風呂をあがり、玄関先の椅子に座り、日光を浴びる。鳥が鳴く。木の葉が揺れる。目の前を野良猫が通り過ぎる。なんだか、いろいろなことがどうでもよくなる。自分には健康な体があって、今夜眠る場所があり、明日食うには困らないカネがある。これだけあれば、多分、文句を言ってはいけないのだと思う。足りないものは何もないのだなあという気持ちになる。

 

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私は、YouTubeジョーブログを見る。

 https://youtu.be/-JQTdkDewc0

 

いろんな生き方があることを知る。ああ、そんなに固く考えてもしょうがないんだということを知る。人生とはなんなのだろう。人は死んだらどうなるのだろう。そんなことを考えても何も変わらないことを知る。お店をでる。外の空気を吸う。新鮮な酸素が身体中を駆け巡る。さあ、新しい人生の始まりだ。

 

I'll be what I want to be.

 

人生楽しんだもん勝ちや。

 

古山 貴大

 

覚悟をもつこと。覚悟さえあればあとはなんとでもなるさ。

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ここ数日、様々なことで悩んでいた自分がいた。自分自身を少し客観的に、自分の中のもうひとりの自分と相対していた。私はこれからどうやって生きていくのか。自分という人生の1作品をどうカスタマイズしようか。など、あることないこと50キロ以上、道なる道を歩きながら、未知なる自分を見つめ直していた。それはおそらく自分に対して不安に思っていたからであり、何もしていないからこそ、不安になっていたかもしれない。仕事が忙しい時は、そんなこと考えていないでただ没頭している。考えている余裕なんてないからで、考える必要もないからだ。先のことを考えても何も変わらないのに、先のことを考えても今が変わるわけではないのに、先のことを考えていた自分に対して、なんとも言えない切なさを感じられずにはいられないでいる。

 

そう。大切なのは今なのである。過去でもなく未来でもなく、今なのである。このブログでも自分自身に問い続けてきたことでもある。

 

直感や感性を信じて、いまのこの流れに乗っていくんだ。

 

先日、ある知人がFBで「しいたけ占い」なるものを投稿しており、今年の下半期の占いに関して、偶然星座が同じであったため、拝見していた。

 

「しいたけ占い」

しいたけ占い | 占い | VOGUE GIRL

 

読んでいくと、面白そうな事が書いてあった。

 

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蟹座は旅の人
蟹座の「居場所」について説明する時に、どうしてもあなたが持つ「旅人のような部分」という性質について説明しなければなりません。
あなたには好きなものがたくさんあります。好きな人もたくさんいると思います。でも、なぜかフラフラしているのです(笑)。
「好きなものや好きな人はたくさんいるけど、“私はここ! ”と帰る場所を一カ所に絞らない」

という旅人のような性質があなたにはあるのです。
ちょっとご自身のことを客観的に見てもらいたいのですが、あなたは「みんなに対してハートフルであたたかい歓迎をするけれど、本当はどこにも心を開いていない、実は心を閉ざしているのではないのか?」と思われたことはありませんか。もしくは自分でも「自分は他人に対して心を開いている人間なのか、閉じている人間なのかわからない」という時があると思うのです。

行動範囲の広い蟹座の人は、国内にも、そして国外にも「家族」と思えるような交友関係を持っています。放浪性のあるあなたは、行く先々に「自分が帰れる場所」を丁寧に整備するのです。それは別にあなただけの合理的な目的ではなくて「あなたに会えて良かった」という態度を、あなたはいろいろな場所でやることができるのです。
ここで少し自分のことを振り返ってみてください。
今あなたがいる居場所って、何年か前の自分では想像できなかった居場所ではないでしょうか。思い返してみると「ずいぶんといろいろなところを巡ってきた」と、自分の人生を旅のように感じる方もいると思います。

 

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すごく共感できるなぁって素直に感じた。高校時代は、ひたすらに東京に行きたいと思っており、そこからまた別の場所、ましてや海外に行く事なんて微塵も考えていなかったし、大学生になると海外に行き、そして今は福岡にいることを考えると、今私がここにいるのは非常に不思議な感覚を覚えてしまう。また、いまだに自分が他人に関して本当に心を開いて接しているのかわからなくなることに関しても、全力で肯定できてしまう。家族や、友人、恋人と話していてもうまく言えないのだが、本音を話していても、心のどこかでまだ閉ざしている何かがあるようなもやもやを覚えることがあり、なにを考えているのかわからないと言われる事もよくある。私は、いろいろな場所を転々とすることで、自分の帰る故郷みたいな場所を増やしたいのかもしれない。

 

そして、しいたけ占いの今週の運勢にはこんなことが書かれてあった。

 

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この流れを信じ、任せてみよう」というターコイズ色が出ています。今年のあなたには「縁」や「運命」という言葉でしか説明できないような不思議な出来事がたくさん起こったと思うのです。そして、それは本当に不思議だったからこそ「今年の自分に何が起きているのかを理解するのに」時間がかかったと思いますし、まだそれを全部消化しきれないところがある人もいると思います。「縁によって運ばれて、そして今の自分は新しい物事に着手していかなければいけない」と感じている多くの蟹座がいます。蟹座って、人生のあるタイミングで不思議と「行かねばならない場所。会わねばならない人」に導かれるから。

 

あなたがこれまで感じてきたものを台詞にします。「今の自分の人生は、自らの意思で、自分で選んできたものが半分。そして、残りの半分が縁や運命など、そういうよくわからないものの力によって決まっていくのが半分。私はこの残りの半分の“あらがえない流れ”に関してどうやって対応したらいいかわからなかったけれど、もし本当にこれが自分にとっての受け入れるべき流れなり縁であるとするならば、私は気持ちを入れてそれを大切にしていきたいと思う。とにかく、今は不安よりも楽しみのほうが大きい。『やれるかな?』ではなく、自分に任された縁のあるいろいろを『やっていきたい』という気持ちです。恋愛面も不思議と縁のある話が多くなります。頭で考えずに流れに任せてしまうこと。

 

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今年は目まぐるしいほどに自分の中で色んなことがあった。(正確には自分で勝手にやったという方が強いかもしれないが)シドニーで正月を迎えてから、就職し名古屋に移り渡り、今度は福岡に移り渡った。この1年で、4都市移り渡ることは全くもって想像できなかったし、今の自分というのをちゃんと理解してないことを理解している今がある。そして、仕事を辞めて新しい何かに着手しようとしているのも紛れも無い事実である。私は直感や感性を大事にしている人間であり、福岡にきても様々なご縁を感じている。ならば、そうであるならば、今のこの流れに真正面から乗っていってやろうではないか。

 

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覚悟をもつこと。覚悟さえあればあとはなんとかなるさ。

 

結局は、覚悟なのかなって思う。何をするにも、一歩目を踏み出すには躊躇する場面が出てくると思う。だけど、そんな時こそ、実際やってみると「ああ、こんなもんなんだ。」とか思ってしまうこともあるもんだ。そこに対する違いは、覚悟であり、または勇気とも言えるかもしれない。そうした一歩を踏み出すこと、それが人生を創っていくことであるかもしれないし、それこそ楽しい人生が待っているかもしれない。

 

人生、楽しんだもん勝ちや。

 

古山 貴大

 

 

 

怖いからこそ立ち向かってゆくのだ。何もやってないのに勝手に決めつけるな。

オープンにしていれば、人間は死なないように造られているのかもしれない。

 

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1日からずっと住み続けているゲストハウスにも今日で一旦お別れを告げ、とりあえず新しくお世話になるシェアハウスに移動することになった。実は一昨日にシェアハウスを2件見させていただき、どっちかに決めようと自分の中で心が固まっていたが、その日の晩、仲良くなったゲストハウスのスタッフさんから、「うちに宿直すればいいじゃん。」と言ってくださった。なんとも、ありがたいお言葉なのだろうか。さらにいうと、昨日は「うち2月末くらいからスタッフ募集してるから、働きなよ。」と言ってくださり、なんだか自分の中で次から次へとベルトコンベアー方式にありがたい事が溢れ出てくるので、嬉しい(?)混乱が頭の中を駆け巡っている毎日である。

 

私には、自分の価値観をいい意味でぶち壊された人がいる。私はその方とお話しした事はない。ただ、一方的に、勝手にその人の価値観に触れた時に、勝手にぶち壊されてしまったのである。その方は、自分をオープンにすることの可能性を謳っており、

 

「自分をオープンにしていれば死なないばかりか、自分ひとりの力では決して成し遂げられなかったであろう素晴らしい瞬間に立ち会える」

 

とも仰っている。今回も、「住むとこを探しておりまして、、、」と自ら打ち明けたからこそ、こうした私にとってはものすごい奇跡に近い何かに触れる事が出来たのかもしれないと思うと、言ってみるものなんだなぁと実感した出来事でもあった。

 

私は、「幸せになりたい」と思って福岡に来たのに、「不安」という異物の感情を抱えており、なんとも言えない矛盾を自分の中に抱えている。私は何になりたいのだろうか。私はこれからどうなっていくのだろうか。これらが不安の主たる要因であり、自分を苦しませており、正直言って、たまに自分にバカらしくもなってくる。なぜなら、起こっていないことに対してあれやこれやと考えてしまっているからであり、結局これらをいくら考え続けても、何も変わらないことがわかっているからである。それがわかっていても、考えてしまう癖が私にはあるので、私はいかに弱い人間かということを思い知らされてしまい、自分が奈落の底に突き落とされたかのような感覚に陥ることもある。

 

だがしかし、こういう時に自分の大好きな人や、大好きな物に触れるとまた気持ちが上昇していく。大好きな人と話していると、「自分は幸せだなあ。」と思う事ができるし、自分の価値観をぶち壊された人を価値観に触れると、また水を得た魚になり、前に進もうと思う事が出来るようになる。そうした方達が、また自分に対して一歩を踏み出させてくれる勇気を与えてくれるのである。こういう事を考えると、私はものすごくこの上なく真面目人間だなあって自分に対して思ってしまう。本当は、もっとこう気楽に「楽しんでこうぜ!」的な軽いノリで生きていたい。だから、そうした「ネガティブ」的な思いを、ある意味自分への戒めとして、自分に対してこのブログを書いているのだと思う。

 

怖がっている場合ではないのだ。

 

そうだ。怖がっている場合ではないのだ。失うものなど何もないのに、何を怖がっているのだ!とりあえず、やってみろよ!なんとかなるから!

 

もっとそういう風に、自分に言い聞かせていきたい。この世の主人公は、「自分」なのである。この世を面白くさせてもいいし、つまらなくさせてもいいし、どうするにしても結局は自由なのである。だったら、つまらない人生じゃなくて、もっといろんな目にあって面白くさせる人生にしてやりたい。  

 

スティーブ・ジョブズの言葉に、

 

If today were the last day of my life,would I want to do what I am about to do today?

(もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?)

 

という、有名な言葉がある。人生は有限である。だからこそ、「今」を生きていきたい。

 

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人生、楽しんだもん勝ちや。

 

古山貴大

 

気楽に生きていこうぜ!

 

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一昨日の夜、22時40分金山発の夜行バスに乗って、昨日の朝10時過ぎに無事に博多駅に到着した。私は東京で大学生活を過ごしていたので、よく島根にある実家まで夜行バスに乗って帰っていたのが、それが3年前とかそこらである。いまはその夜行バスも無くなってしまったので、久しぶりの長距離バス移動であったのだが、まだ身体が覚えていたのだろうか、意外とすんなりと睡眠に入ることができた。

 

一応、有給休暇なるものを少し使わせていただいた関係上、正式には一昨日で退職ということであった。いい大学に入って、いい会社に入ってしっかりと働くというサラリーマンスタイルの生活を放棄し、これからは自分のケツは自分でちゃんと拭くんだぞと、見えない誰かにしきりに言われているような感覚で過ごしている。

 

ちなみに、昨日、今日と、とあるゲストハウスにてたこ焼き&水炊きパーティーなるものが開催されており、そこに参加させていただいたのだが、その場には韓国からきた2人組がいて、私も先週韓国にお邪魔していたこともあり、妙な繋がりを感じていた。ちなみに、味は最高で、すごく幸せな時間を過ごすことができた。

 

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福岡に来たのは、今年の8月に来て以来3ヶ月半ぶりである。福岡に来たのは、この人達と一緒にいたら面白そうだと思った人達がいて、なんとなく福岡の街が好きだからでもある。新しい何かに触れることは好きなことであると同時に、ワクワクすることでもあり、そうしたことをただ私は追い求めていきたいのだ。

 

「やりたいこと」とは

 

私が、会社を辞めると他の人に言うと、「会社を辞めて何をするの?」とよく聞かれる。そうしたことを聞かれると、正直いってなんて答えればいいのかわからない。そんなにやることを1つに絞らなければいけないのだろうかとも思ってしまう。そんな風に感じてならないし、それでいてそうした考え自体がなんか縛られているような気がしてならないのだ。なので私は、そういうことを聞かれた時に、「遊びに来た」と言ってやろうと思っている。私の中で、やりたいことはあくまで手段にすぎないからである。8月に会社を辞める決心をした時、ゲストハウスを運営したいという考えを持っていた。だけど、それはどこから来ているのか正直、自分自身わかっていなかった。ただ、自分自身と向き合っていくとそれは、はじめましての人達と会って、様々な話をすることが好きだからで、そう考えるとゲストハウスだけではなくもっといろんなやり方もあるのではないかと考えるようになった。

 

「感性」と「直感」

 

感性を研ぎ澄ませ続けると、その人自身のオリジナリティがでてくるのかもしれないと考えていた。私は、感性というものを非常に大切にしている人間であり、これからも大切にして生きたいと思っている人間であり、なんかよくわからないが「感性」という言葉を聞くとなんか無性に楽しくなってくる人間なのである。とある辞書によると、感性とは

 

①外観の刺激に応じて感覚・知覚を生ずる感覚器官の感受性

②感覚によって呼び起こされ、それに支配される体験内容。

③理性・意思によって制御されるべき感覚的欲望。

④思惟の素材となる感覚的認識。

 

ということらしい。ちなみに、「センス」というこれまた僕が好きな言葉があるが、センスとは感性とは似ているものであると思っていたのだが、感性が受動的なるものであるならば、センスが能動的なるものであるらしいので、似て非なるものなのかもしれない。

 

話は戻るが、初対面の人と会って、話をする時に感じる感覚や、言葉にできないけど感じる「直感」のようなものは、本能的な部分でその人自身が大事だと思っていることだと考えているので、この人なんかいいなあとか、この人はちょっと合わなそうだなあとかいろいろ感じてしまう部分は、ちょっとした仕草や言葉、あるいは表情を感じ取ることで本能的に判断しているものなのかもしれない。つまり、そうした感性を研ぎ澄ませ続けることは、直感が鋭くなることに繋がるかもしれないし、その直感を信じることがもしかしたら人生を変えていくのかもしれない。人生は選択の連続である。私もまだ24年しか生きてないが、24年間生き続けた分の感性を養っているとも思っている。感性を研ぎ澄ませつづけることは、休むことなく続けていきたい。

 

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正直言うと、今不安をかなり感じている。人生どうにでもなると自分で言っておきながら、ものすごい恐怖といま闘っているのかもしれない。たぶん、それはその先がどうなるかわからないからで、要するに考え方の問題なのだろうが、ものすごい孤独感を感じているのも事実である。ただ、自分自身で決めてここにきた訳であるし、何より僕は1人ではない。家族がいて、友人がいて、大切な人がいる。それだけでも、幸せなことであるし、もうちょっと自分自身に「気楽にいこうぜ。」と言って聞かせてあげたい。

 

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人生は、楽しんだもん勝ちや。

 

古山 貴大

 

 

 

 

 

 

愛し、愛し、愛し生きてゆく。

 

人は結局、それ以上でもそれ以下でもなく、ただそこにいる「人」でしかないのだと思う。

 

昨日までの3日間、国内の枠組みを外れて、お隣の国である韓国に行っていた。日程がなかなかタイトであったのだが、非常に密度の濃い3日間であり、また新たな場所をこの身体で体感でき非常に満足している感満載で今ブログを書いている。

 

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近いからか、日本と似た部分をよく感じていた。

 

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ここの屋台でソジュと焼き鳥を食したのだが、ソジュが効きすぎて少し気持ち悪くなった。(味自体は、すごい美味しかった。)

 

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 こういう裏路地に、韓国がつまっているのかもしれない。

 

1日目の夜にとある韓国人の友人(ここではE君としておく)と合流して、あれやこれやと話していた。彼と会うのは、約10ヶ月ぶりであったがなんら変わらない感じで、まるで昨日会ったばかりのような感覚でもあり、改めて時の流れの早さを思い知らされた気がした。

 

私はオーストラリアは去年の11月から今年の1月までの約3ヶ月間滞在したことがある。観光ビザでもなく、学生ビザでもなく、ワーキングホリデービザで渡航したのだが、特に働くということもせず、ただひたすらミートアップという初対面の人達同士で英語を話す行事に、自分のスピーキング力に磨きをかけようと、ひたすら参加していたのを、当時住んでいたシェアハウスのオーナーである女性が哀れと思ったのか、本当にありがたいことに日本に帰っている間、ボランティアとして家の管理と非常に可愛らしいおばあちゃん犬の世話をしてお金を貰っていた。(シェアハウスのオーナーは日本人であった。)そのおかげで、ひと月だけではあったが、非常に眺めが美しい港の近くにある語学学校に通うことができ、その時によく同じ授業を一緒に受けていたのがE君であった。

 

今回、私が「サムギョプサルが食べたい。」と言うと、彼は観光客はなかなかこなさそうな人気のサムギョプサル屋に連れて行ってもらった。たった、ひと月ちょっとしか一緒にいなかったのだが、空港からホテルの最寄りの駅の場所や、ここどこは行ったほうがいい、ここどこは夜はあまりお店やってないからいついつに行ったほうがいいなど、色々教えてもらい、しまいには二軒目にマッコリとチヂミを食べに行ったのだが、そこでお会計の時にお金を出そうとすると、「せっかく来てくれたんだ、ここは奢らせてほしい」と言われ、お金まで出してくれたのである。この時に人の温かみというのをすごく感じ、心が何かそういうのに包まれた。ただ、私もこのままバイバイするのは、絶対嫌だったので、「今度日本来た時は教えてね、食べたいものなんでもおごらしてくれ。」みたいなことを言ってさよならした。

 

昔、スーパースターである、鈴木一郎選手を見たいという理由で初めて日本という大陸を抜け出して、自分がもっともっとちっぽけに感じてしまう、アメリカ大陸という途方も無い私にとっては未開でしかない土地に足を踏み入れたことがある。今から2年前のことであった。当時はこれが初めての海外で、かつ1人で行ったというのもあり、当時は今以上に英語なんて全くもって喋れず(今は英語を喋れるのかと言われると、はい喋れますと自身持って言えないが)、ちゃんとホステルまでいけるのか、物はとられないだろうかや、それ以外にも全てが初めてだらけでものすごい恐怖を感じる自分とずっと向き合っていた記憶が鮮明に蘇ってくる。ただ自分の経験上では、そうした恐怖と向き合い、実際やってみたり行ってみたりすると意外となんとかなるし、いろんな人に助けられることも多く、様々な素晴らしいことに遭遇できる。アメリカでも、行ってみたら全然なんとかなったし、挙げ句の果てにメキシコまで行くこともできた。またネットが繋がらず困っていた時に、ネットのパスワードを親切に教えてもらったり、オーストラリアでも金がなくて困っている自分に仕事を与えてもらったりと様々ことで助けられたりもした。アメリカに行った時は、行き帰りの飛行機で、心優しい隣の方達と仲良くなり、行きの飛行機で仲良くなった方は、お正月にはポストカードを頂いたり、帰りの飛行機は韓国の女性の方で、日本語が喋れるということで、様々なことを話すことができ、うちの国に来てくれたら色々案内してあげるから、ぜひおいでよなどと言って下さり、いろんな温かみを感じることができた。

 

要するに1人の人間である以上、国も性別も人種も関係ないのだと思う。「人間」は「人間」であり、それ以上でも以下でもなくただ、「人間」である、それだけのことだ。笑う時は笑うし、悲しい時は悲しいし、泣く時は泣く、そこに違いは何もないと思っている。今回の韓国でも、E君の温かみに触れて、すごく幸せだなあと感じることができた。

 

愛し、愛し、愛し生きてゆく。

 

これからの時代、どうなるかなんて到底自分にはわからない。ただ、今自分が思っていることとして、もっと愛していたいという願望がどこかにある気がする。もっと周りにいる人を愛して生きていきたいし、もっと愛というのを自分の中に内包して生きていきたいと思っている。ただ、そうする前に、「自分のことさえ愛せない奴が、他人なんか愛せるかこの野郎!」という、もう1人の自分がもう1人の自分に訴えているのを感じ取ることができる。これは私なりの意見だが、人を愛する前にまずは自分を愛すること、ありのままの自分を素直に受け入れることが重要だと思っている。今の資本主義社会にいる以上、プライドや他者承認欲のおかげで、自分を大きく見せたりしがちかもしれないが、そうではなくて、自分のコンプレックスや弱い部分を認めてあげて、その上でそういう自分を愛することから始めたい。その先に、はじめて他人を愛することができると私は思っているからだ。ただ、私もそういう意味でまだ自分を愛せていないわけで、もっと自分を愛して、自分を認めてあげたいのである。

 

 

明日の夜、名古屋を離れて福岡に旅立つ。この1年、フィリピン、オーストラリア、東京、名古屋と様々な地を転々として、今度は福岡に住む。こうしてみると、私は1つの場所に留まることはたぶん苦手な人なのかなぁって思う。その理由はおそらく、いろんな場所に行って、様々なことを、この身体で見たいし体験したいからなのかもしれない。正直、福岡もいつまでいるかもわからないが、非常にワクワクしているし、この感覚はずっと大事にしていきたいものである。

 

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古山 貴大

 

 

 

 

ただひたすらに、真っ直ぐ生きていくんだ。

 

昨日、退職しました。

 

私は、昨日を持って会社を退職した。4月から入社したできたてほやほやの新入社員であったため、わずか8ヶ月での退職である。

 

今日、初めてブログを書くのでここで自己紹介させていただきたい。私は古山貴大(こやまたかひろ)といい、島根県益田市出身の男性である。小学校2年から3年生の途中まではサッカーをやっていた。だが、次第にテレビで見ていた野球選手に憧れる様になり、小学3年生のある日、サッカーから野球に競技を変え、当時は、「裏切り者」としてしばらく扱われていたが、そんなの知るか的な感じでやっていたように思う。時は流れ、高校まで野球を続けて、1年浪人した後、大学でもサークルではあったが野球をやっていた。振り返るとまあまあの野球少年ではなかっただろうか。そして今年の4月から俗にいうサラリーマンとして昨日まで働いていたのである。

 

ざっくりしすぎているが、ざっとこんな感じである。世間的にいえば、まったくもって普通の人である。ただ2年前くらいから、自分の人生に対して、なんかこううまく言葉にできないのだが、違和感的なのが体を駆け巡り始めたのである。

 

きっかけ

 

小学生の時から、野球という国民的スポーツをやってきた。高校まではバリバリやってきたというのもあって、多少なりとも米粒くらいは上下関係というのを経験してきたつもりである。先輩や監督のいうことは必ず正しいものだと思っていたし、野球部特有の挨拶もしっかりとやっていた。しかし、大学3年生になり就職活動の時に、自分の人生に対して考えるようになってから、そうした違和感的なものが湧き始めてきたのである。

 

「自分にとって幸せとはなんなのだろうか。」就職活動するにあたって、自分に問いただしてきた自分自身に対する設問である。結局当時は、わからぬまま、ほかの人と同じように就職活動をして、内定をもらった。

 

日本という社会に超絶馴染んでいた私は、就職活動でも、ほとんど何も考えていかなった。良い会社に入って安定した給料を貰うことがいいことだと思っていた。つまりは、ステータスを求めていたのである。それが自分の幸せに繋がると思っていたからである。

 

それから、就職して働き出したのだが、ずっとしこりっぽいものが残っていた。そして8月になり、東京のとあるゲストハウスに泊まった。その際に、初めましての人たちと一緒に輪になってあれやこれやと話していた時に、「これだ」っていうのを感じた。私はたぶん、初めての場所に行ったり、また初めての人に会って話す時、この上ないワクワク感で満たされる。要するに、「もっといろんな世界を知りたいんだ」と心の中のもう1人の俺が叫び続けていたのである。そう思った時に、「もうこれは!」と思い、こういうワクワク感やドキドキを一生追い求めたいと思うようになった。それが、退職に至った大きな理由である。

 

それ以外にも退職した理由としては、私自身、縛られるのが大の苦手であったからなのもある。正直、スーツを着るのも暑苦しくてあまり好きではなかった。ただ、会社自体はいい人ばかりだったので、会社や仕事が嫌というよりかは、単にサラリーマンが向いてなかったのかもしれない。おそらく、あのまま働き続けていたら、自分の内側が死んでいただろう。

 

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みんなと同じでなきゃいけない理由なんてどこにもないんだ。生きたいように生きてみるのもありだと思うぜ。

 

地球に70億人いるのなら、70億通りの人生があってしかるべきはずである。だから、サラリーマンとして働いてる人を否定してるつもりはさらさらない。ただ、私は自分の人生において他人の人生を生きたくはない、ちゃんと自分の人生を自分のために生きていきたい、そう思っている。そうこれからも自分に言い聞かせて生きていくつもりであるし、このブログもそういう意味で自分のために書いていくつもりである。

 

今は愛知にいるのだが、来月福岡に移住する。「この人達と一緒にいたら楽しそうだな」と思える人達がいるからであり、一緒にいると、もしかしたらなにかすごいことが起こるかもしれないとも思っているからでもある。

 

正直、これから自分に起こることが想像できない。しかし、だからこそ、めちゃくちゃ楽しみでワクワクしている。こうした行動に対して、「そんなんでこれから生きていけるの?」と思う人もいるかもしれない。私達は、未来を生きてるのでも、過去を生きてるのでもない。「今」という時代を生きているのだ。その一瞬一瞬を生きていれば、たとえ野垂れ死しても後悔はないと、私は思っている。

 

これからの時代、楽な道なんてどこにもないと思っている。だからこそ、より人間らしさが求められる時代なのかもしれない。そうした中で、人生という大きな道のど真ん中を突っ切る感じで生きていけたらと思っている。

 

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古山貴大